金田一耕助ファイル9    女王蜂 [#地から2字上げ]横溝正史   目 次  第一章 月琴島  第二章 開かずの間  第三章 役者は揃った  第四章 第二の死体  第五章 歌舞伎座への招待  第六章 紅いチョコレート  第七章 寸 劇  第八章 伏魔殿の惨劇  第九章 耕助開かずの間へ入る  大団円    第一章 月琴島     月琴島  |伊《い》|豆《ず》の|下《しも》|田《だ》から南方へ海上七里、そこに地図にものっていない小島があり、その名を|月《げっ》|琴《きん》|島《とう》という。  月琴島——  むろん、こうよばれるようになったのは、比較的にあたらしく、むかしは沖の島と、極くありふれた名前でよばれていたものだそうで、いまでも、それがこの島の、ほんとうの名前なのである。  それが月琴島という、たぶんにロマンチックな名前でよばれるようになったのは、おそらく、江戸時代も中期以後のことであろう。いわれはいうまでもなく、島の形状がそのころはやった、月琴という、中国の楽器に似ているからである。  ところで、その月琴だが。……  いまの読者にこのような名前をもちだしたところで、おそらく、知っているひとはあるまいが、これは中国近代の絃楽器で、胴のかたちが満月のように、円形をなしているところからこの名がある。つまり、まるいお盆に三味線の|棹《さお》のようなものを、くっつけたようなかたちだと思えば、まず、まちがいはなかろう。胴の直径は一尺一寸ばかり、棹の長さは四寸五、六分。  月琴が日本に渡来したのは、江戸時代でもかなり早いころらしく、最初はいうまでもなく長崎につたわったものだが、それが全国的に流行したのは、やはり中期以後のことであろう。明治に入ってもなかごろまでは、婦女子のあいだに持てはやされたものだが、それ以後しだいにすたれて、明治の末期から大正の初期にかけては、まれには習うひともあり、また、場末のさかり場などを、ながしの|門《かど》|付《づ》けなどが、|弾《ひ》いてあるくのを見かけたものだが、それも大正のなかごろからは、おいおい見られなくなったようだ。  それにしてもこの島を、月琴島とはいみじくも名づけたものである。  島はだいたい円形をなしており、その直径一里あまり。そして島の|乾《いぬい》、即ち西北のいっかくから、幅五町、長さ十五町にあまる|断《だん》|崖《がい》が、まっすぐ突出しているのだが、その形状が月琴にそっくりである。  その断崖は土地のものから、棹の岬とよばれ、その突端の|鷲《わし》の|嘴《くちばし》は、島ずいいちの難所といわれる。  もし、諸君が春にさきがけて、二月か三月ごろ、この島を訪れるならば、その景観の美なるに、一驚せずにはいられないであろう。それは島の中央にそびえる、|兜山《かぶとやま》のふもとから、棹の岬へかけていちめんに、からにしきの如くつづる|椿《つばき》の花の美観である。  この島も大島同様、椿の栽培と、牧畜と、漁業をもってなりわいとしているのだが、しかし、牧畜はいうまでもなく、椿の栽培も近年にはじまったことで、江戸時代にはあまり盛んではなかった。  それにもかかわらず、この島が現代よりも江戸時代において、はるかに富んでいたといわれるのは、当時、すばらしいなりわいを持っていたからである。それは密貿易、即ち、当時のことばでいえば抜け荷買いである。月琴島は江戸時代の中期より末期へかけての、密貿易の一大根拠地であったといわれる。そしてこの島の密貿易のあいては、主として中国、即ち、当時の|清《しん》|国《こく》であった。  いわゆる唐物として、珍しいものずきの江戸っ子たちに、もてはやされた品々の多くは、この島を中継地として、ひそかに江戸の土地へ、ながれこんだものであるといわれている。  もし、諸君がこの島をおとずれるならば、椿のほかにもうひとつ、眼をうばわれるものがあるだろう。  それは島のずいしょにのこっている、唐風の建物である。島のものもちといわれる家には、たいてい一棟、唐風の建物が付随しているが、おそらくそれは|異《とつ》|国《くに》のまろうどたちを歓待するために、特別に設けられたものであろう。  さらに、|新《しん》|島《しま》|原《ばら》とよばれる船着き場のちかくには、あきらかに|妓《ぎ》|楼《ろう》であったとおぼしい、唐風の建物が二軒のこっている。おそらくそれらの楼上では、清国から渡来した、多感な冒険者たちが、一夜の夢をおうて、歓をつくしたことであろう。この島を月琴島とよびはじめたのも、ひょっとすると、それらの冒険者たちではあるまいか。  こうして島の繁栄はながくつづいたが、|盛者必衰《しょうじゃひっすい》、それに終止符をうったのは明治の新政府であった。  明治の新政府によって、鎖国の制がとかれるとともに、密貿易の価値はなくなり、島の|殷《いん》|賑《しん》は一挙にしてうばわれた。そしてあの唐風の建物も、その存在価値をうしなうとともに、風雨のもと、しだいに荒廃に帰していったが、それでもなおかつ、これらの建物がこの島に、なんともいえぬ異国的な情緒をそえ、島に遊ぶものをして、そぞろ懐旧の情を禁ぜしめないのである。  だが……。  いまにして思えばこの島に、唐風の建物がのこっているということは、ただたんに、観光価値をたかめるばかりではなかったのだ。こういう離れ小島にもかかわらず、窓も扉も厳重に、内部からかけがねのかかる建物があったということが、これからお話しようとする、金田一耕助のこの冒険|譚《たん》に、非常に大きな役目をつとめているのであった。  だが、しかし、ここでは物語の本題に入るまえに、もうひとつこの島につたわる、いささか時代錯誤的な伝説についてお話しておかねばなるまい。  昭和五、六年のころであった。この島の名が中央の新聞紙上を|賑《にぎ》わしたことがある。それはこの島に、みずから右大将源頼朝の|後《こう》|裔《えい》と称する一族の住んでいることが、たまたま、ここに遊んだ学生の口から、中央に報告されたからである。そしてかれらが——それは|大《だい》|道《どう》|寺《じ》|家《け》といって、島いちばんのものもちだったが——みずから頼朝の子孫であると、主張するいわれというのが面白い。  ここでちょっと歴史をひもといてみよう。  頼朝の死んだのは|正治《しょうじ》元年正月十三日。死の原因となったのは、その前年の十二月、|稲毛入道重成《いなげにゅうどうしげなり》が亡妻の追福のためにいとなんだ、|相模《さ が み》川の橋供養におもむいた帰途、落馬したによるということになっている。  ある史書によると、そのときのことをこう書いてある。「右大将頼朝卿|結《けち》|縁《えん》のために行向ひ、御帰りの道にして、|八《や》|的《まと》|原《はら》にかかりて、義経行家の|怨霊《おんりょう》を見給ふ。稲村崎にして、安徳天皇の御霊|現形《げんぎょう》し給ふ。是を見奉りて、|忽《たちまち》に身心|昏《こん》|倒《とう》し、馬上より落ち給ふ」  それから病気になって、さまざまの|祈《き》|祷《とう》医療も寸効なく、年改まった正月十三日、遂に他界したというのである。  義経行家の怨霊だの、安徳天皇の御霊などとは、いかにも昔の作者のかんがえそうなことだが、頼朝のにわかの死は、昔からいろいろ疑問を持たれ、一説によると、妻政子の謀略ではなかったかといわれている。  そのころ頼朝はねんごろになった女があって、妻の眼をしのんで、おりおりそこへ微行した。  それを|嫉《しっ》|妬《と》した政子が、落馬を機会に、|良《おっ》|人《と》を死にいたらしめたのではないかというのである。真偽のほどは保証しがたいが、骨肉|相《あい》|喰《は》む源氏の一族、さらに政子の性格などからかんがえて、ありえない説ではない。  それはさておき、そのとき頼朝の通っていた女というのが、大道寺家の先祖だというのである。当時、大道寺家は伊豆山に住む豪族だったが、その娘の|多《た》|衣《え》というのが、頼朝のちぎりを結んだ相手だという。多衣もはじめは相手を頼朝とはつゆ知らず、ただたんに、鎌倉方の由緒ある大将だろうぐらいにかんがえて、ちぎりを結んだのだが、のちに右大将頼朝卿と知って、きもをつぶさんばかりに驚き|畏《おそ》れた。それというのが政子の嫉妬ぶかいこと、また、頼朝の手を出した女が、ことごとく終わりを|完《まっと》うしなかったことを聞いていたからである。  ことに多衣はすでに懐妊していたので、後難をおそれることもいっそうはなはだしかった。|戦々兢々《せんせんきょうきょう》と、やすからぬ思いで日をおくっているうちに、そこへ突然きこえてきたのが、右大将急死の報である。さらに鎌倉方の討手の勢が、攻め寄せてくるやの風説がきこえてきたので、もうこれまでと大道寺の一族は、多衣を擁して海上へ走った。そして流れ流れて落ち着いたのが月琴島、即ち、当時の沖の島であったというのである。  多衣はここで月満ちて、無事に女の子を産み落としたが、お|登《と》|茂《も》様とよばれるこの女子こそは、頼朝のタネにちがいなく、現在の大道寺家は、連綿としてお登茂様の血をひいているというのである。  この話は伝説としても面白いし、いくらか史実の裏付けもあるので、これが東京につたわると、歴史家や|好《こう》|事《ず》|家《か》が大いに食指をうごかし、続々として月琴島を訪れた。ひょっとするとそこから、吾妻鏡や北条九代記で、故意に|隠《いん》|蔽《ぺい》してあるのではないかと思われる、鎌倉時代初期の、裏面の史料が発見されるのではないかと思われたからである。  しかし、好事家のそういう期待は裏切られた。大道寺家の主人が頼朝の遺品として出してみせる太刀、|兜《かぶと》、|采《さい》|配《はい》など、いずれもずいぶんいかがわしいもので、わけても采配にいたってはまさに噴飯ものだった。ある考証家の説によると、采配は武田信玄の|創《はじ》めてつくるところということである。それをそれよりはるか古い時代の頼朝が、もっていたというのがおかしい。もっとも「|逆《さか》|櫓《ろ》」の畠山重忠や、「すし屋」の梶原は采配をもって登場するようだが、これは王朝時代の物語であるはずの「寺子屋」の源蔵が、江戸時代の町人の風俗をしているのと同様、いわゆる狂言ごとというやつだろう。  こうしてここを訪れる好事家たちも、大道寺家の宝物には失望したけれど、それらの宝物にもまして、すばらしい宝がこの家に埋もれているのを発見して驚いた。  それは当時の主人、大道寺|鉄《てつ》|馬《ま》のひとり娘|琴《こと》|絵《え》である。琴絵はそのころかぞえ年で十六か七であったろうが、その照りかがやくばかりの美しさは、白椿の朝日に|匂《にお》うよりもまだ|風《ふ》|情《ぜい》があった。客のまえにでるときの琴絵はいつも、唐織の|元《げん》|禄《ろく》|袖《そで》を|裾《すそ》|長《なが》に着ている。帯も江戸時代初期のもののような細いのを三重にまいて、その結び目をかたちよく前横にたらしている。髪はおどろくほど長く黒く、それをふっさりとうしろにたらして、さきのほうを白紙でむすんでいる。  月琴島では昔の遺風か、はなはだ外来者を歓待するふうがある。たしかな筋の紹介があれば、いくにちでも|逗留《とうりゅう》をゆるして|倦《う》むふうがない。ことに当時の主人大道寺鉄馬は、右大将頼朝公の|後《こう》|裔《えい》であることを、非常な誇りとしているふうであったので、その宝物を拝観にきたひとびととあらば、歓待これつとめて下へもおかなかった。  大道寺家にもむろん唐風の建物がある。時代のためにいくらかくすんではいるけれど、まだたぶんにけばけばしい色彩ののこった唐風の一室で、ほのぐらい|蘭《らん》|燈《とう》のもと、琴絵が月琴をいだいてかきならす姿を見たとき、だれしも桃源郷に遊ぶおもいが、しないではいられなかったであろう。  琴絵が頼朝の子孫であるかどうかは明らかではない。あるいはそれが真実であり、その真実性を強めるために、先祖のだれかがあのような、怪しげな宝物をつくりあげ、かえってそれがために後人の、物笑いの種になっているのかも知れない。  だが、事の真偽はさておいて、琴絵が自分を頼朝の末だと、信じていることは事実である。そして、このことがやはり、いくらかこの物語に関係があるのである。  昭和七年、二人の学生がこの島にあそんだ。かれらもあの伝説をききつたえて好奇心を起こし、伊豆めぐりの足をのばして、月琴島へわたってきたのである。かれらはひどくこの島の風物を珍しがり、その逗留は二週間の長きにわたった。大道寺家でもたしかな筋の紹介があったので、歓待いたらざるはなかった。  この逗留中に、琴絵はひそかに学生のひとりと|契《ちぎ》りをむすんだ。そしてふたりが島を立ち去ったのちに、はじめて自分が懐妊していることに気がついたのである。  昭和八年、琴絵は無事に女の子をうみおとしたが、そのまえに、子供の父である学生が、無残の変死をとげたとき、琴絵はいまさらのように、多衣と頼朝とのいきさつを思い出さずにはいられなかったのである。  だが、それらのことについては、もう少しのちに述べることにして、ここでは筆を現代にうつすことにしよう。     怪行者  昭和二十六年五月二十五日をもって、満十八歳になる大道寺|智《とも》|子《こ》の美しさは、ほとんど比べるものがないくらいであった。  母の琴絵も美しかった。しかし、その美しさはあくまで古風で、ひかえめで、なよなよとして頼りなげであった。それにくらべると、智子の美しさには積極性がある。彼女は純日本風にも、また、現代式にもむく顔である。|瓜《うり》|実《ざね》顔といえば瓜実顔だが、いくらかしもぶくれがして、両のえくぼに|愛嬌《あいきょう》がある。それでいて、おすましをしているときの智子は、|神《こう》|々《ごう》しいばかりの気高さと威厳にみちていた。といって、冷たい感じがするというのではない。なんといったらいいのか、智子の美しさにはボリュームがあった。そこに彼女と母との大きなちがいがある。  それに服装なども、母の琴絵があくまで古風に、和服でおしとおしたのに反して、そこは時代の相違で、智子はいつも洋装をしている。その洋装なども、かくべつけばけばしい装飾はないのだけれど、いかにも趣味が高尚で、智子のひとがらを思わせた。頭も母に似て素性のよい髪を、肩のあたりでカットして、さきをゆるくカールしているだけのことだが、それがふっくらとした卵がたの顔をくるんで、まるで貴い宝石をつつんでいる、|艶《つや》のいい黒ビロードのような感じであった。  とにかく諸君があらん限りの空想力をしぼって、智子という女性を、どんなに美しく、どんなに気高く想像してもかまわない。それは決して、思いすぎということはないのだから。  さて、この物語がはじまったころの、大道寺の一家というのを|瞥《べっ》|見《けん》してみよう。それにはそんなに長くはかからないだろう。なぜといって、そこには極くわずかのひとしかいなかったのだから。  智子の母の琴絵は、智子がかぞえ年で五つのときにみまかった。だから智子は母のことを、ごくわずかしかおぼえていないのだが、彼女の記憶にある母は、いつも|淋《さび》しげで、うれいに満ちていた。智子はどんなに頭をしぼってかんがえても、母の笑顔というものを思い出すことができない。母はいちども智子のまえで、笑ったことがないのである。いやいや、母は淋しく、憂いにみちていたのみならず、なにかしら、たえず胸をかむ悔恨と、悲痛の思いがあるらしく、おりおり真夜中などに夢を見て、恐怖にみちた叫びごえをあげ、それから眼がさめると、さめざめと泣きだすのであった。そして、どうかするとその泣き声が、夜明けまでつづくことがあった。  そんなとき、智子は子供ごころにも、なんともいえぬ悲しさと恐ろしさに満たされ、母にしがみついて泣いてしまう。それがまたいっそう母の魂をやぶるらしく、智子を抱きしめて、琴絵はいよいよはげしく泣き出すのであった。  その当時のことを|想《おも》い出すと、智子はいまでも不思議でならない。何があんなに母の心を苦しめたのか、何があんなに母の魂を悩ましたのか……それを考えると、智子はいまでも自分自身が、息切れするほど苦しくなる。それでいて、智子は誰にもそのことについて、|訊《き》きただそうとはしない。何んとなくそれを知ることが、恐ろしいような気がするのである。  さて、琴絵の父、智子にとっては祖父にあたる鉄馬は、智子がまだ母の胎内にいるあいだにみまかった。いや、かれは琴絵が妊娠していることすら、知らずに死んだのである。だからいまではこのひろい大道寺家の屋敷のなかに、智子はただひとりの祖母と住んでいるのである。  祖母の|槙《まき》は今年六十になる。若いころ彼女はからだが弱くて、しじゅう病気がちだったけれど、十九年まえにつれあいを失い、翌年娘が私生児をうんだころから、彼女はめきめき達者になった。それはどうやら意志の力であるらしかった。自分がたえず病気がちで、ろくに家事も見られなかったところから、娘があのような不仕末をおかしたのだという反省が、彼女をむちうち、彼女の心身を鍛錬したらしい。そのひとつの現われとして、智子がうまれる前後から、彼女はいっさい和服をやめて洋装にした。そしていまでは、いかにもしっくり洋装の板についた、小柄ながらも、頑健な老婦人になっている。彼女は孫の智子を眼のなかへいれても痛くないほど愛しているが、さりとて、決して甘い祖母ではなかった。それは琴絵を、あまり甘やかしすぎたという反省からきているらしい。  大道寺家にはこのほかに、奉公人が大勢いるが、それらの奉公人はこの物語に、とくべつの関係はないから、ここでは述べないことにしよう。しかし、ただひとりだけ、どうしても逸することのできぬ人物があるから、そのひとのことだけを紹介しておこう。  それは智子の家庭教師、|神《かみ》|尾《お》秀子女史である。  秀子がこの家へ身をよせるようになったのは、もう二十年以上も昔のことである。彼女はもと、智子の母琴絵の家庭教師としてまねかれたのである。こういう離れ小島に住んでいれば、どうしても子女の教育がおろそかになる。といって、一粒だねの琴絵を手離すにしのびなかった鉄馬は、多額の報酬をもって秀子をむかえたのである。そのとき琴絵は十四、秀子は二十一か二で、専門学校を出たばかりであった。  美しいものには誰でも心をひかれる。秀子は自分の教え子を、ひとめ見たときから好きになった。しかも、その愛情は、日増しにこくなるばかりであった。琴絵は美しいばかりではなく、性質が素直で、おとなしく、どこか頼りなげなところがあるので、男でも女でも、彼女に接すると、保護欲をそそられずにはいられない。秀子は琴絵を掌中の珠と愛した。  だから彼女は、琴絵の教育をひととおりおわっても、島を去ろうとはしなかった。また鉄馬も彼女を手ばなそうとはしなかった。まえにもいったとおり、当時は槙が弱かったので、どうしても家事を見る、しっかりした女手が入用だったのだ。そのころ秀子はまだ若かったが、勝気で、|聡《そう》|明《めい》で、分別と才覚にとんでいるので、家事取り締まりとしてもうってつけだった。秀子はいつか家庭教師から、家政婦のいちにかわっていた。  そうしているうちに鉄馬が死に、琴絵の不仕末から私生児がうまれたが、こうなると、秀子はいよいよ島を去ることができなくなった。こんどは秀子は、家政婦と|保《ほ》|姆《ぼ》をかねなければならなくなった。そして、琴絵が死ぬと、こんどは智子の養育がかりに、そして智子が成長すると、ふたたび家庭教師にかえり、とうとう今日まですごしてきたのである。  秀子はことし、四十四か五になるのだろう。彼女はとうとう生涯を、琴絵|母《おや》|子《こ》のために棒にふったわけだが、彼女はそれについて、少しも悔いるところはない。彼女は琴絵を愛していたと同様に、いやいや、それ以上に智子を愛しているのである。秀子は智子が、母よりも更に美しく、聡明に、そして分別にとんだ女性として成人したことを、このうえもなく満足に思っている。実際、智子があのように美しく、気高く、女王のように威厳にみちた女性となったのは、ひとえに秀子の丹精のおかげなのである。  こうして智子は、ちかく第十八回目の誕生日をむかえようとしているのだが、その日のちかづくのを智子をはじめ、祖母の槙も、家庭教師の神尾秀子も、三人三様のおもいで見まもっているのである。それは三人にとって、期待と不安に胸のふるえる、息づまるようなおもいであった。  なぜならば、その日になると智子をはじめ三人は、東京に住んでいる智子の父、大道寺|欣《きん》|造《ぞう》のもとに、ひきとられることになっているのだから。そして今日かあすにも、東京から父のむかえが来ようとしている。……  さて、誕生日を数日のちにひかえた五月二十日。この日こそは大道寺智子が、これからお話しようとする、世にもおそろしい事件の、最初の足音をきいた日なのだが、いま、そのことからお話をすすめていくことにしよう。  五月二十日。  もし諸君がその日のたそがれごろ、船で|棹《さお》の岬の突端、|鷲《わし》の|嘴《くちばし》のふもとを通ったら、そこに世にも美しいものを見たであろう。  きりたてたような鷲の嘴の絶壁のうえに、女がひとり立っていた。青黒い|椿《つばき》の新緑を背景に、燃ゆるような落日をまともにうけてたたずんでいる彼女のすがたは、さながら一幅の絵だった。ふっさりと肩にたらした黒髪が、さやさやと海からくる微風になびくたびに、きらきらと金色にかがやき、それが白椿のように|蒼《あお》ざめた、女の顔にこのうえもなく微妙な|陰《いん》|翳《えい》をなげかける。  いうまでもなくそれは智子だった。  智子は胸にかぐわしい、数本の山百合の花を抱いている。智子は身動きもしない。うつろの眼を、遠く水平線のかなたに投げかけたまま、|塑《そ》|像《ぞう》のように立っている。彼女はずいぶん長いあいだ、そうして鷲の嘴の突端に立っていた。それはまるで|黙《もく》|祷《とう》でもささげているような|恰《かっ》|好《こう》であった。いや、事実、彼女は黙祷していたのだ。  やがて、だいぶんたってから、智子は黙祷が終わったのか、|瞳《め》を転じて|崖《がけ》の下をのぞきこんだ。しかし、すぐはげしく身ぶるいをすると、息をのみ、眼をとじて、静かに一本の山百合を、崖のうえから海に落とした。  山百合の花は落日にかがやきながら、海のうえに落ちていく。そこには無数の岩が海面から頭を出し、岩と岩とのあいだを黒潮が、白い泡を立てて渦をまいている。山白合の花はすぐにその泡のなかにまきこまれる。  智子はまた山白合のいっぽんを投げおとす。いっぽん、また、いっぽん、智子はそのたびに口のうちで何やらとなえる。やがて最後のいっぽんを投げおわったとき、智子はよろめくようにしゃがんだ。そして、両手で顔をおおうたまま、ずいぶん長いこと身動きをしなかった。やがてかすかな|嗚《お》|咽《えつ》の声が唇をもれ、指のあいだから真珠のような涙があふれてくる。  突然、智子はギョッとしたように嗚咽の声をのみ、両手を顔からはなすと、ハンケチを出してあわてて涙をふいた。そして、すっかり涙をふきおわったところで、立ちあがって、ゆっくりうしろをふりかえったが、そのとたん、彼女は思わずおどろきの眼をみはったのである。  果たしてそこにはひとが立っていたが、それは智子の思いもよらぬ、世にも異様な人物だった。  そのひとは白衣を着て、水色のはかまをはき、うえに黒い羽織を着ている。髪の毛はながくのばして、両の肩にたらしている。顔にはひげを長くのばして、|漆《しっ》|黒《こく》の|顎《あご》ひげが、胸のへんまでたれている。身のたけは五尺八寸くらいもあろうか。たくましい、堂々とした|体《たい》|躯《く》をしていて、|容《よう》|貌《ぼう》もみにくいほうではない。鼻がたかく、|眉《まゆ》がひいで、大きな口はいかにも意志の強さを思わせるようである。としは四十前後だろう。  そのひとは、椿林のほとりに|佇《たたず》んで、くいいるような|眼《まな》|差《ざ》しで、智子の顔を|凝視《ぎょうし》している。|炯《けい》|々《けい》という形容詞は、おそらくこういう目付きにつかうのだろう。しかも、その眼は磁石のような一種の魔力をもっていて、|視《み》つめられると、どうしてもその眼を視かえさずにはいられず、相手がなんとかしてくれないかぎり、どうしても視線をそらすことができなかった。智子はそれが恐ろしかった。  怪行者——智子はそう思ったのだ。行者以外にだれがこのような魔力をもっていよう——は、やっと智子の気持ちに気がついたのか、にわかに凝視をやわらげる。とたんに智子は、脳貧血を起こしたように少しふらついた。 「あんたは大道寺の智子さんだね」  太い、さびのある、よく鍛えられた声だった。無言のまま|会釈《えしゃく》をして、いきすぎようとした智子は、思わずギクリと立ちどまる。 「やっぱり親子は争えんもんじゃ。どこかおっ母さまに似たところがある。おっ母さまもきれいじゃったが、あんたのほうがまだ美しい」  智子はびっくりして、相手の顔を見直そうとしたが、すぐ気がついて視線をそらした。相手の凝視に射すくめられることを|懼《おそ》れたのである。  智子はたゆとうような声で、 「あたしの母を御存じでございますか」  相手はしかし、それにはこたえず、 「智子さん、あんたはここで何をしていなすった。わしはさっきから、あんたの様子を見ていたが、あんたはここから花をなげて、お祈りをしていたようだが……」  こんどは智子がこたえなかった。相手もしばらくだまっていたが、やがて|憐《あわ》れむように、 「世間の口には戸が立てられぬ。おうちのひとはかくしていても、やはり誰かがしゃべったのじゃな。あんたはここが自分にとって、どういう場所だか知っていると見える」  智子ははっと顔をあげた。ある切迫した感情のために、相手の凝視をおそれることも忘れてしまった。声をふるわせて、 「あなたは……あなたはそれを御存じでございますか?」  怪行者はうなずいて、 「知っている。ここはあんたのお父ッつぁまの|終焉《しゅうえん》の場所じゃ。あんたのお父ッつぁまはその崖ぶちの、|羊《し》|歯《だ》を採集しようとして、あやまって下に|顛《てん》|落《らく》して死なれたのじゃな。だが、そのことはあんたも知っていなさるのだろう」  智子ははげしく身ぶるいをした。そしてあえぐように、「いいえ、いいえ、存じません。詳しいことは存じません。ただ、いつか、そんな話をきいたような気がして……でも、……でも、……それでは東京にいる父はどうなるんですの。戸籍を見ると、あたしはあのかたと、母とのあいだにうまれたことになっているのに……」  怪行者はちょっとためらったが、すぐまた思いなおしたように、 「いずれはわかることじゃで……。いや、あんたはもう、うすうす知っているのじゃろう。東京にいるひとが、あんたのほんとのお父ッつぁまではないことを。……あんたのほんとのお父ッつぁまは、あんたがまだうまれぬまえになくなった。しかも、あんたのお父ッつぁまとおっ母さまは、正式には結婚していなかった。だからお父ッつぁまが死なれると、おっ母さまはいそいで東京にいるひとと結婚なすったのじゃ。それでないと、うまれてくる子が私生児ということになるでな」 「ああ、それで……」  智子は少しよろめいた。何かしら頭のなかを、熱いものが火を吹いて、渦巻いているような感じであった。 「それで……それで……あたしのほんとうの父はどういうひとなんですの。どこの、何んというひとですの」  怪行者の眼には、一種異様のかがやきがあった。まじまじと智子の顔を見まもりながら、 「それは知らん。いや、誰もそれを知っているものはない。それを知っているのは、東京にいるいまのあんたのお父ッつぁまだけだ。あんたのほんとのお父ッつぁまというひとは、神秘のひと、——|謎《なぞ》の人物じゃったな」  怪行者はそこまでいうと、肩をすくめ、くるりと向こうへむきなおった。智子はそれに追いすがるようにして、 「あなたはどなたです。お名前をおっしゃって……」 「いまにわかる。あしたまたお眼にかかろう」  怪行者はふりむきもせず、そのまますたすた、椿林のあいだをぬうてあるいていった。紫いろの|夕《ゆう》|靄《もや》が、みるみるそのからだをくるんでいく。……  智子はまためまいを感じて、思わず椿の枝にとりすがった。    第二章 開かずの間     開かずの間  五月二十一日。  朝、寝床のなかで眼をさましたときから、智子は妙に胸騒ぎがして気が重かった。それはなにも今朝にかぎったことではなく、誕生日がちかづいてくるにつれて、ちかごろ毎朝味わうおもいだが、それが今朝はとくにひどかったのは、いろんな理由があったからである。  まず、第一に今日あたり、東京からむかえのひとが来るのじゃないかと思われること。第二に昨日あった怪行者のこと。第三に今日こそは思いきって決行しようと思っていることがあること。……  それらのことについて思い惑い、考え乱れているので、朝の食事のときも、智子はぼんやりとして元気がなかった。やがて食事がすんで、女中がお|膳《ぜん》のうえを片付けていくと、 「智子さま」  秀子が編み物の|籠《かご》をひきよせながら、いたわるように声をかける。時間をむだにすることのきらいな秀子は、ひまさえあると編み物を編んでいる。ひとりでいるときはもちろんのこと、奉公人になにか用をいいつけるときでも、客と応対するときでも、手さえすいていれば、せっせと編み棒を動かしている。彼女のあたまのなかにはどんなときでも、編み物の符号が電光ニュースのように、しずかに、音もなくすべっているのである。  ——かけ目、伏せ目、表、表、表、二目一度、表、かけ目、伏せ目、かけめ、表、表、表、二目一度、かけ目、表。……  これで模様編みの一段が出来あがる。もしも彼女から編み物をとりあげたら、盲人が|杖《つえ》をうしなったように、どうしてよいかわからなくなるにちがいない。 「智子さま」  秀子はもうせっせと編み棒をうごかしながら、 「いけませんわ。そんなにおかんがえこみになっちゃ。……もうきまってしまったことなのですし、それに東京のお父さまだって、きっと悪いようにはなさいませんわ」 「ええ……」  智子の調子はおっとりしている。彼女はどんなに思い惑い、考え|煩《わずろ》うているときでも、人前ではめったにせきこんだり、語尾をふるわせたりしない。それは|賤《いや》しいことだとおしえられており、また彼女の気位がゆるさないのである。それにもかかわらず昨日は……  智子はこのときふと、昨日の怪行者のことをきいてみようかと思った。いや、このときのみならず、昨日夕方家へかえって以来、何度そのことをきいてみようと思ったかわからないのである。しかし、そうするには、自分が|鷲《わし》の|嘴《くちばし》へいったことをいわなければならないので、それがうしろめたくて、つい、口に出しかねた。そして、このときもとうとう、いい出しそびれてしまったのである。  智子はたゆとうような微笑をうかべながら、 「あたしって意気地なしなのね。もうちゃんときまってしまったこと、いまさらどう考えたってはじまらないてこと、よく知っていながら……それにあたし、東京に住むのいやじゃないわ。そりゃアあこがれもあるわ。でも、……やっぱり変ね。いままで離れて住んでいたお父さまと、はじめて一緒に住むんですもの」 「でも、それがおなくなりになったお母さまの御遺言ですから。……満十八におなりになったら、東京へお移りになるようにって……」  あいかわらず、いそがしく編み棒をうごかしながら、秀子の声はおちついている。  この婦人について、筆者がいままで述べてきたところから、諸君がもし、意地悪そうな、中性的な婦人を想像したとしたら、大間違いである。  秀子はかなりの美人である。美人というより|垢《あか》|抜《ぬ》けがしている。色が白くて、額がひろく、|瞳《ひとみ》が|聡《そう》|明《めい》さにかがやいている。日本人としては大柄なほうで、洋装がぴったり身についている。琴絵がなくなった日以来、彼女はぜったいに黒以外の洋装をしない。そして、銀鎖で胸につったロケットには、わかき日の琴絵の写真が秘められているのだが、これは彼女だけの秘密である。 「それに……」  と、秀子はあいかわらず落ち着いた声で、 「お父さまと御一緒におすまいになるといっても、別棟になっているのですから。……それはそれはりっぱなお住居。まるで御殿のようですわ」  秀子は四月のおわりに上京して、智子の新しく住むべき家を検分してきたのである。 「お父さまってよほどお金持ちなのね。あたしのためにわざわざお家を建ててくださるなんて……」 「ええ、ええ、それはもう……」  智子はちょっとためらったのち、思いきったように口をひらいて、 「あたしねえ、先生、たいていの決心はついておりますのよ。お母さまの御遺言でもございますし、それに、お父さまもそうおっしゃってくださるのですから。……でもねえ、ただひとつ、心配なことがございますの。それは……文彦さまのことでございますの」 「…………」 「先生、文彦さまってどんなかた? お父さまはときどきこちらへいらっしゃったことがございますけれど、文彦さまにはいちどもおあいしてないでしょう。変ねえ、いちどもあったことのない弟があるなんて」 「智子さま」  秀子はあいかわらず顔をあげずに、 「文彦さまのことについては、あたしの口から申し上げるのはひかえましょう。あなた御自身がおあいになって、御判断なさるのがなによりですから」  智子はちょっとさぐるように、秀子の顔色に眼をやったが、すぐあきらめたように、 「文彦さまはおいくつでしたかしら。かぞえ年で……」 「十七におなりでございます。満でいえば十五歳と何か月……」 「かぞえ年でいえばあたしより二つお下ね」  それからしばらく沈黙がつづいた。秀子はあいかわらず、いそがしく編み棒をうごかしている。智子は無言のままその指先をながめている。どこかで|藪《やぶ》うぐいすの声がきこえた。  しばらくして智子がまた、おっとりとした調子でいった。 「先生、お|祖《ば》|母《あ》さまの御様子はどうかしら」 「大丈夫でございましょう。このあいだからの荷造りやなんかで、ちょっとお疲れになっただけのことですから。御丈夫なようでもやはりお年ですわね」 「あたし、お祖母さまがお気の毒でなりませんわ。あのお年になって、住みなれたところをはなれて、はじめてのところへお移りになるんですもの」 「ええ、でも、あなたと離れておすまいになるよりましでしょう。あなたとお別れになったら、お祖母さま、いちにちだって生きていられない思いをなさいますでしょう」 「ええ、それはもうあたしだってそうよ。あたし、お祖母さまや先生も、御一緒にいってくださるというので、やっと決心がついたのでございますもの」  智子が満十八歳になったら、東京の父のもとへ引きとられるということは、ずっとまえからきまっていたことであった。それが急に祖母の|槙《まき》や、家庭教師の秀子まで、いっしょにいくことになったのは、ほかにいろいろ理由もあるが、大道寺家が以前ほど、さかんでなくなったこともひとつの理由であった。戦後いろいろ不運つづきで、とみにかたむきはじめた大道寺家の家運は、今年に入ってから急激な没落ぶりで、もうどうにもやっていけないところまでせっぱつまってきていた。そこで奉公人にもひまを出し、いちじこの家を閉ざして、みんなで東京へ引きうつろうということになったのである。  智子は秀子の顔色をうかがいながら、急に思い出したように立ち上がって、 「先生、あたしちょっとお祖母さまをお見舞いしてきますわ。それから……」  智子はちょっとためらって、 「あたし、お家のなかをみんな見てまわりたいの。だって、もうすぐお別れですもの。あっちの別館のほうも……」  秀子は眼をあげて智子の顔を見たが、何も気がつかずに、 「ええ、じゃア、そうしていらっしゃい。でも、なるべく早くかえっていらっしゃいね。ひょっとすると今日あたり、お迎えのかたがいらっしゃるのじゃないかと思いますの」 「ええ、すぐかえってきます」  智子は別館の|鍵《かぎ》を取りあげながら、なんとなくうしろめたいものを感じている。だが、それと同時に、渇くような好奇心と冒険心におどっている。彼女は今日、どうしても決行するつもりなのである。  祖母の部屋へきてみると、寝床はもぬけのからで、祖母のすがたは見えなかった。 「あら、お祖母さま、どちらへいらしたのかしら」  何気なく縁側へ出た智子は、そのとたん、胸のいたくなるようなものを見た。  祖母の槙ははるかむこうの|椿林《つばきばやし》を、椿から椿へとあるいている。そしていっぽんいっぽん立ちどまっては、その葉にさわり、枝をなでているのである。ここまではきこえないけれど、おそらくいっぽんいっぽんに話しかけているのだろう。それはきっと、いままでの労をねぎらい、お別れのことばをささやいているにちがいない。  智子は急に、あついものが胸にこみあげ、そのまま祖母のもとにかけつけ、抱きあっていっしょに泣きたかった。しかし、すぐに彼女は思いなおして、いそぎあしでそこを出ると、暗い、長い廊下をぬけて、別館の入り口まできた。この別館には別に門もあり、玄関もあるのだけれど、母屋のほうとも、廊下でもってつながっているのである。  廊下のはしに|観《かん》|音《のん》びらきの扉がついていて、いつも錠がおりている。しかし、この鍵は茶の間の壁にぶらさがっているので、智子はいま、それを持ってきたのである。  その扉をひらくと、諸君は|忽《こつ》|然《ぜん》として、別世界へ招待されたような心地になるだろう。いままでの古風な、因習と、腐朽と、|頽《たい》|廃《はい》の|匂《にお》いのしみこんだ、ひなびた日本家屋は、この扉いちまいで、忽然として、眼もあやな唐風の世界にかわるのである。  こってりとした彫刻と、けばけばしい色彩で装飾された調度類、|色《いろ》|硝子《ガ ラ ス》で唐美人をえがいた窓、金糸銀糸で竜をぬいとった重い|緋《ひ》|色《いろ》のカーテン。いずれも古びてくすんでいるが、それでもなおかつ、昔の栄華をしのばせるに十分である。ああ、これらの部屋でとつくにびとが、どのような歓をつくしたことであろうか。  だが、智子はそんなものには眼もくれなかった。あしばやに二つ三つ部屋をかけぬけると、最後に、壁にかかった重そうな緋色の|帳《とばり》のまえにたちどまった。  智子はあたりを見まわし、遠くのほうに耳をすますと、やがて胸のなかから、大きな、古びた鉄の鍵をとりだした。ああ、この鍵なのだ。智子に今日の冒険を思いたたせたのは。  二、三日まえのことである。智子はお別れのために、裏山にある先祖代々の墓へおまいりした。彼女はそこにならんでいる、お墓のひとつひとつに、ていねいにお別れの|挨《あい》|拶《さつ》をのべたが、とりわけ墓地の隅にあるひとつの墓のまえに、とくべつ長くぬかずいていた。その墓は奇妙な墓で、「昭和七年十月二十一日亡」と、裏面に彫ってあるきりで、ほかには一字の文字もなかった。  しかし、智子は本能的に、これが自分のほんとうの父の墓であることを知っているのだ。幼いころ、母がよくこのお墓のまえで泣いているのを見たし、また智子にくれぐれも、このお墓を大事にするようにと、いいきかせたのをおぼえているのである。  智子はながいこと、このお墓のまえにぬかずいていたが、そのときお墓のすぐそばにある、椿の根元の小さな穴へ、|栗《り》|鼠《す》が出たり入ったりするのが眼についた。 「まあ、あんなところに栗鼠が巣をつくって……」  智子はちょっとほほえましい気持ちで、穴のなかをのぞいたが、そのとき、ふと妙なものが眼についたのである。  おや、なんでしょう。……  智子はふしぎに思って、穴へ手をつっこみ、それを引き出したが、とたんにさっと血の気が|頬《ほお》からひいていくのをおぼえたのである。それは大きな鉄の鍵だった。 「ああ、これなのだわ。これが開かずの間の鍵なのだわ。お母さまがここへ埋めておかれたのだわ」  そういえば、この椿をお植えになったのは、お母さまだということを、いつか誰かにきいたのをおぼえている。このお墓ができたとき、お母さまがこれをお植えになったのだということを。……ああ、その時、お母さまは椿の根元に、この鍵を埋めておかれたのだ。……智子はめまいがする感じだった。  そして、いま智子はその鍵をもって、帳のまえに立っている。  智子はもういちど気息をととのえ、あたりに耳をすましてから、おののく指で帳を排した。と、そのうしろから現われたのは、見事な|鳳《ほう》|凰《おう》を彫刻した、大きな観音開きの扉だった。そして、そこにがっちりした|南京錠《ナンキンじょう》がかかっているのである。  智子は幼いころから、いくどこの扉の内部を空想し夢に見たことであろう。この扉は智子がうまれてから、いちども開かれたことはなかった。いやいや、智子がうまれる数か月まえに閉ざされ、大きな南京錠をかけられたまま、二度とひらかれることはなかったのである。  開かずの間。——  それがどのように幼い智子の好奇心を|刺《し》|戟《げき》し、いくど彼女は、母や、祖母や、秀子に、その部屋のことを聞き、なかを見せてくれるようにねだったことであろう。ほかのことならどんなことでも、きいてくれないことはないこのひとたちも、しかし、ひとたびこの部屋のことになると、絶対に彼女の願いをききいれなかった。決してこの部屋を見たいと思ってはならないし、また、このような部屋のあることを、ひとに|洩《も》らしてもならないといいきかされた。智子はいま、その部屋をひらこうとしているのである。 「この鍵が悪いんだ。この鍵があたしを誘惑するんだわ。この鍵が合ってくれなければ、あたし、悪いことしなくてもすむんだわ……」  だが、鍵は合った。南京錠はひらいた。運命の|賽《さい》は投げられたのである。智子は観音開きの扉をひらいて、こわごわなかをのぞいた。どの窓もあついシェードがおりていると見えて、部屋のなかはまっくらだった。智子は壁をさぐってスイッチをひねる。と、ぱっと天井の|蘭《らん》|燈《とう》に灯がついた。むろん、これらの仕掛けは琴絵の父の鉄馬の代になってつけられたものである。  智子はすばやく、部屋のなかを見まわした。別にかわったことはなさそうだった。ここもこってりとした彫刻と、けばけばしい色彩で飾られた調度類で埋められている。ただ、ここは寝室になっていたらしく、むこうの壁ぎわに大きな寝台がある。部屋の中央には大きな卓、その卓のそばに向かいあって|椅《い》|子《す》が二脚、隅のほうに長い寝椅子のような|榻《とう》が一台、むろん、全部唐風のものである。入り口はいま智子が立っている、観音開きの扉よりほかにはない。窓には全部、こまかい唐草模様の鉄格子がはまっている。  この部屋はこれからお話するこの物語に、非常に重大な意味をもっているので、いずれのちに、もっと詳しくお話しするが、ここではそのとき、智子の眼に入ったものだけを書いておこう。  榻のうえに編み物|籠《かご》と、編みかけの編み物が、編み棒をとおしたまま投げ出してある。 「あら、それじゃ先生、昔、ここで編み物をしていらしたのね……」  智子はほほえましい気持ちになり、それでいくらか気が楽になったので、部屋へ入り、大きな|卓子《テーブル》のそばへちかよった。卓子のうえには月琴がひとつ投げ出してある。むろん、なにもかも、厚い|埃《ほこり》の層におおわれて、五月の温度にあたためられた、しめきった部屋の空気は息苦しいくらい。  智子はしばらくあたりを見まわしていたが、やがて何気なく|棹《さお》をにぎって月琴をとりあげたが、そのとたん、 「あら!」  |狼《ろう》|狽《ばい》したような声が智子の唇をついて出た。絃がはってあるので、つながってはいたけれど、月琴は棹の根元でポッキリ折れて、持ちあげると、ぐらりと胴がかたむいた。智子はびっくりして、それを下へおこうとしたが、そのとたん、胴がくるりと裏向きになって、そこに大きな裂け目があり、しかも、まっくろな|汚《し》|点《み》がしみついているのが眼についた。 「まあ!」  智子は息をのみ、月琴をしたにおくと、もういちど卓子のうえを見まわした。そこには、唐美人が|胡弓《こきゅう》をひいている図を織り出した、唐風の織物が、テーブル・センターみたいにおいてあったが、その織物のうえにも、くろい、おびただしい汚点が、雲のようにしみついている。 「まあ、なんの汚点かしら……」  智子はとほうにくれたような顔をして、月琴と織物をながめていたが、そのうちに、ある恐ろしい考えが稲妻のようにさっと頭にひらめいた。  血!……  そのとたん、祖母や、母や、秀子の顔が、走馬燈のように彼女の頭のなかを走りすぎた。この部屋のことをきくたびに、恐怖におののいていた三人の顔が……  智子は全身の血が、氷のように冷えていくのをおぼえる。彼女は大急ぎで月琴をもとどおりおきなおし、よろめくように部屋を出たが、そのとき遠くのほうで、彼女を呼ぶ声がきこえた。智子は手早く錠をおろし、|鍵《かぎ》を胸にしまうと、|帳《とばり》をもとどおりしめて、あしばやに声のするほうへ急ぐ。 「ああ、お嬢さま、こちらにおいででございましたの。御隠居さまや、神尾先生がお呼びでございます」  別館の入り口のところでバッタリ女中の|静《しず》に出あった。 「ああ、そう、何か御用……」  智子は顔色を見られぬように、わざと珍しそうに扉の彫刻に眼をやっている。心臓がまだ|早《はや》|鐘《がね》をつくようにおどっている。 「あの、お迎えのかたがいらしたのですよ、東京から……」 「ああ、そう、どんなかた」 「それがとてもかわったお方でございまして……行者様のように、髪を長くおのばしになって……」  智子はドキッとしたように、静のほうへふりかえった。 「それから、もうおひとかた。……とてもかわったお名前のかたでございます」 「かわったお名前って……?」 「キンダイチ……ええ、そう、金田一耕助様ってお方でございます」     覆面の依頼人  金田一耕助はいま戸惑いしている。  かれはまだこのロマンチックな伝説の島において、どのような役割を演ずべきか、十分に納得がいっていないのである。なぜじぶんがこの島に必要なのか、なぜこの奇妙な迎えの使者に、じぶんが必要なのか、その点についても、まだよくわかっていなかった。  それはちょっと妙な話であった。  二週間ほどまえのことである。二つ三つたてつづけに、厄介な事件をかたづけたかれは、しばらく休養をとろうと思っていた。久しぶりに温泉へでもいって、ゆっくり静養するつもりだった。ところがそこへ舞いこんだのが、丸ビル四階にオフィスをもっている加納法律事務所からの書面である。  用件は是非とも貴下を|煩《わずら》わしたい件があるから、至急、当事務所まで御足労願えまいかというのである。本文はタイプでうった|杓子定規《しゃくしじょうぎ》のものだったが、差し出し人のところには、加納辰五郎と達筆の署名があった。  金田一耕助はちょっと迷った。依頼に応ずれば休養がフイになるかも知れない。それはたしかに|辛《つら》かった。じっさいかれは疲れていたのだ。しかし一方、加納法律事務所という名前と、加納辰五郎の署名が、かれを誘惑したこともいなめなかった。  加納法律事務所といえば、一流中の一流である。所長の加納辰五郎氏は、日本でも有数の民事弁護士である、ひきうけているのは、一流の大会社や大商店の事件ばかり、個人的にもつぶよりの、一流人物ばかりであることを、金田一耕助も知っている。しかもここには、所長みずからの署名がある。金田一耕助が食指を動かしたのもむりはない。  休養と誘惑、——心中しばらくたたかったのち、結局、誘惑にまけた。電話をかけておいて一時間のちには、丸ビル四階にある加納法律事務所の一室で、かれは高名な民事弁護士とむかいあっていた。 「いや、御多忙中恐縮。御高名はかねがね承っていますが、こんどはぜひとも、お力添えを願いたいと思いましてな」  さすがに練達の士である。耕助の異様な|風《ふう》|采《さい》に動ずるふうもなく、適当の敬意をはらうことをわすれなかった。五十の坂はとっくの昔にこえているのだろう。血色のいい顔色と、雪のような白髪が、いちじるしい対照を示している。  その昔、|白頭宰相《はくとうさいしょう》とうたわれた、人物を思わせるような|風《ふう》|貌《ぼう》である。  そこで耕助が休養の希望をのべ、どこかの温泉で静養したいと思っているとつげると、加納弁護士はおだやかに|眼《め》|尻《じり》に|皺《しわ》をよせて、 「それは好都合です。この件をおひきうけ下されば、あなたの御希望もしぜん、果たせることになると思いますよ」  それから弁護士はこういった。  仕事というのは|伊《い》|豆《ず》の南方にある島へ、さる令嬢を迎えにいくことだが、令嬢はとちゅう|修《しゅ》|善《ぜん》|寺《じ》で、二泊か三泊する予定だから、あなたもいっしょに、ゆっくり温泉につかってくるがよい。そして、その令嬢が無事に東京のさる家へ、到着するまで付き添ってもらえればよいのであると。……  金田一耕助はさぐるように、相手の顔を見直した。 「するとなんですか。誰か途中でその令嬢に、危害を加える懸念があるとおっしゃるんですか」  それならば辞退のほかはない。護衛だの用心棒だのには、いたって不向きな男である。腕力にはてんで自信がない。 「いや、そんなわけじゃありません。そんな単純な事件なら、なにもあなたのようなかたを煩わすまでもない。金田一さん」 「はあ」 「われわれの職業では、依頼人の秘密を尊重せねばならぬということは、わかって下さるでしょうな」 「それはもう……」 「と同時に、あなたも依頼人の秘密を守って下さるでしょうね」  金田一耕助は|眉《まゆ》をあげた。弁護士は微笑しながら、デスクの|抽《ひき》|斗《だし》から二通の書面を取り出して渡した。一通は封筒に入っていたが、一通は四つに折ってむき出しのままだった。金田一耕助は封筒の表をみて、思わず大きく眉をつりあげた。 「世田谷区経堂 大道寺欣造様」  そういう文字が全部、印刷物から切り抜いた活字だった。同じ号数の活字が|揃《そろ》わなかったと見えて、大きい字や小さい字が、不規則にベタベタと|貼《は》ってある。差し出し人の名前はなく、消印をみると神田錦町。日付は四月二十八日。どこでも売っているような、ハトロン紙のありふれた封筒だった。  金田一耕助はいそいで中身をひきだしてみる。これまたありふれた|便《びん》|箋《せん》に、切り抜いた活字の文字が、一面にベタベタと貼りつけてある。 [#ここから1字下げ] 警告。 月琴島からあの娘をよびよせることをやめよ。 あの娘が東京へ来たらロクなことは起こらぬであろう。 あの娘の母の場合を思うてみよ。 十九年まえの惨劇を回想せよ。 あれは果たして過失であったか。 |何《なん》|人《びと》かによって殺されたのではなかったか。 あの娘の母には良人を|剋《こく》する相があった。 あの娘またしかり。 あの娘のまえには多くの男の血が流されるであろう。 彼女は女王蜂である。 慕いよる男どもをかたっぱしから死にいたらしめる運命にある。 再び警告。 月琴島からあの娘をよびよせることをやめよ。 [#ここで字下げ終わり]  |宛《あ》て名も差し出し人の名前もなかった。  金田一耕助は額ににじむ無気味な汗をおぼえる。大きいのや小さいのや、号数そろわぬ活字の|羅《ら》|列《れつ》が、粗悪な紙のうえで踊っている。  耕助はもう一枚の便箋をひらいてみる。これまた切り抜いた活字の羅列で、まえの手紙と一字一句もちがわない。金田一耕助はふたたび額に汗をおぼえ、異様な|戦《せん》|慄《りつ》がムズがゆく、背筋をはいまわるのを禁じえなかった。 「こっちのほうの封筒は……?」  加納弁護士はうすい微笑をきざみながら、 「それをお眼にかけるわけにはいかないので……依頼人の秘密というのはこのことなんです。そのひとはいましばらく、覆面でいたいというんです。しかしいっておきますが、その封筒も全然それと同じでしたよ。同じハトロン紙の封筒に、切り抜いた活字の文字が貼りつけてあったのです。消印も同じ、日付も同じ。つまり同時にふたりの人物にむかって、同じ警告状を送ったんですな」  金田一耕助はもう一度それらのものをあらためる。指紋はないかとすかしてみたが、それらしいものはどこにもなかった。よほど用心ぶかいやつにちがいない。 「ところで、どの程度まで話していただけましょうか。これだけでは雲をつかむような話で、お引きうけいたしかねますがね」 「ごもっとも。どうぞお尋ねください。答えられる範囲でお答えしましょう」 「まずお嬢さんのお名前ですがね。警告状にあるあの娘。……ぼくがいくとしたら、その令嬢をお迎えにいくのでしょう」  加納弁護士はうなずいて、 「|大《だい》|道《どう》|寺《じ》|智《とも》|子《こ》といいます」 「ははあ、するとこっちの封筒の宛て名にある、大道寺|欣《きん》|造《ぞう》氏の血縁の方で……?」 「いや、血はつづいてはおらんのです。欣造氏はその令嬢の、義理の父になるわけで」 「なるほど。そして覆面の依頼人……その人と令嬢とはどういう関係ですか」  弁護士はちょっとためらって、 「いや、それは申し上げないでおきましょう。依頼人の秘密に関することですから」 「大道寺欣造氏は義理の娘の智子さんと、いままで別に住んでいられたんですか」  弁護士はうなずいた。 「それを今度、|手《て》|許《もと》にひきとろうというんですね」  弁護士はまたうなずいた。 「それは誰の意志なのですか。大道寺氏のですか。それとも覆面の依頼人の……?」 「両方の意志なのです。そして亡くなられた智子さんのお母さんの意志でもあるのです。智子さんはこの五月二十五日で、満十八歳になる。そのときには東京へひきとると、まえから話がきまっていたんです。つまり、配偶者をさがすためですな」  金田一耕助はふっと警告状の一節を思い出す。  あの娘のまえには多くの男の血が流される。……彼女は女王蜂である。……慕いよる男をかたっぱしから死にいたらしめる。……  金田一耕助はあやしい胸騒ぎと、背筋をつらぬく戦慄を、おさえることが出来なかった。 「そして、そのこと、令嬢を東京へむかえることを、誰かが妨げようとしているんですね」  弁護士はくらい眼をしてうなずいた。 「それが誰だかわかりませんか」 「わかりません。全然見当がつかないと、大道寺氏も覆面の依頼人もいっている。しかしねえ、金田一さん、おかしいのは警告状をよこした人物が、智子さんと覆面の依頼人の、関係を知ってるらしいことですよ。でなかったら、こんな警告状をよこすはずがありませんからね。ところでそのことたるや、依頼人と大道寺氏と、このわたし以外には、絶対に知るものはないはずの秘密なんです。そこにこの警告状の、重大な意味があるんじゃないかと思うんですがね」  金田一耕助はしばらく弁護士の顔を|視《み》つめていたが、やがてまた警告状に眼をおとすと、 「ところで、ここのところですがねえ。十九年まえの惨劇を回想せよ。あれは過失ではなく、殺されたのではなかったかという意味の一節がありますね。これについて御説明ねがえませんでしょうか」  加納弁護士はゆったりとうなずくと、 「お話しましょう。|但《ただ》し、差し支えない範囲においてですよ。それをお話すれば欣造氏と、智子さんの関係もハッキリするでしょう」  弁護士はゆっくりと、言葉をえらびながら、 「いまから十九年まえ、即ち、昭和七年の七月、伊豆半島の南方にある、月琴島という島へ、ふたりの学生が旅行にきました。名前は|日《くさ》|下《か》|部《べ》|達《たつ》|哉《や》に|速《はや》|水《み》|欣《きん》|造《ぞう》、あらかじめいっておきますが、日下部達哉というのは偽名ですよ」 「そして、速水欣造というのが、げんざいの大道寺欣造氏ですか」 「ええ、そう。さて、ふたりは二週間ほどその島に滞在していましたが、そのあいだに日下部青年のほうが、島ずいいちの旧家の娘、大道寺琴絵という婦人と、ねんごろになったんですね。ところがふたりが島を去ってからしばらくして、琴絵という婦人が妊娠していることに気がついたのです。そこで、そのことを日下部青年にいい送ったのですが……」 「ああ、ちょっと待ってください。日下部達哉というのは偽名だとおっしゃいましたね。どうしてその婦人は通信したのですか」 「ああ、それはね、友人の速水青年が仲介の労をとっていたのです。大道寺琴絵という婦人が恋人に手紙を送るときには、いつも速水欣造気付にするんですね。このほうは本名だし、住所もしらせてあったのだから」 「なるほど、わかりました」 「さて、大道寺琴絵から妊娠の報をうけとった、日下部青年は大いに驚いた。そこで、さっそく月琴島ヘ出向いていった。それが昭和七年十月中旬のことなんです」 「速水青年もいっしょでしたか」 「いいえ、今度は日下部ひとりでした。さて、月琴島へいった日下部と、大道寺琴絵とのあいだに、どんな話があったのかわからない。とにかく、日下部はそこに二、三日|逗留《とうりゅう》していたが、そのうちに不慮の最期をとげたのです」  金田一耕助はいきをのんで、 「ああ、それが十九年まえの惨事なんですね。いったいどういう死にかたでしたか」 「|崖《がけ》から足をふみすべらせて落ちたんですね。少なくともいままでそういうことになっていたんです。警告状をうけとるまではね」 「それじゃ、そうではなかったかも知れないと、思いあたる節もあるわけですか」 「いや、それはなんともいえない。死体のあの状態じゃね。肉も骨も砕けてしまってね」  加納弁護士は顔をしかめる。金田一耕助はデスクのうえにのりだして、 「それじゃあなたは、死体をごらんになったんですね。島ヘ出向かれたのですか」 「いきました。大道寺家では死体が発見されると、すぐ速水君のところへ電報で知らせてきました。速水君はびっくりして、つまり、その……覆面の依頼人のところへ駆けつけたのですね。しかし、依頼人はとても出向くわけにはいかなかったので、わたしが代わりに、速水君といっしょに急行したわけです。そのころから私は、依頼人の法律顧問のようなことをしていたものですから」 「そのときあなたは死体をごらんになって、他殺ではないかというようなことを、お考えにならなかったのですか」 「いいえ、考えませんでした。考えるひまがなかったのです。速水君はおかしいというようなことをいってましたが、私はそれより、日下部達哉の正体が、暴露することを何よりもおそれたのです」  金田一耕助はまじまじと弁護士の顔を見ながら、 「するとあなたは、死の原因を|糾明《きゅうめい》するよりも、日下部青年の正体|隠《いん》|蔽《ぺい》のほうに、熱中されたわけですね」  と、いくらか|詰《なじ》るようにいった。 「そうです。そういわれても仕方がない。しかし、そのときわたしはほんとうに、他殺だなんてこと考えなかった。そこで、面倒が起こるといけないからと、急いで死体を|荼《だ》|毘《び》に付して、お骨を持ってかえってきたのです」 「日下部青年の秘密は保たれたのですね」 「保たれました。完全に——」  金田一耕助は|油《ゆう》|然《ぜん》と興味のあふれてくるのをおぼえる。速水青年の眼にさえ、怪しくうつった死体の状態を、この|老《ろう》|獪《かい》な弁護士が、見落とすはずはないのである。それにもかかわらず、その重大なことを不問に付してまでも、隠蔽しなければならなかった、神秘の人、日下部青年とはいったい何者だろう。  金田一耕助の|瞳《め》にうかぶ、|猜《さい》|疑《ぎ》のいろに気が付いたのか、弁護士はいくらか|狼《ろう》|狽《ばい》ぎみで、 「いやいや、あの時の状態では、じっさい過失死としか思えなかったのですよ。げんに日下部青年の死後、速水君あての手紙に封入して、覆面の依頼人にあてて日下部青年が島から出した手紙がついたのですが、そのなかに、|鷲《わし》の|嘴《くちばし》——それが日下部青年の墜落した場所ですが、鷲の嘴にはえている、|羊《し》|歯《だ》をとって送るというようなことが書いてあったんです」 「羊歯……」 「そうです。そうです。覆面の依頼人というひとが、生物、つまり動植物に、ひじょうに興味をもっているんですな。だから日下部青年は、旅行をするときっとその土地の、珍しい動植物を採集して送る習慣になっていたんです。だからその羊歯をとりにいって、あやまって足をふみすべらしたのだろうと……」 「その手紙はいまでもありますか」 「もちろん、あります。日下部青年の最後の手紙ですから、大事にとってあるんです。じつはこんど、警告状のことがあったので、取り出して読みなおしてみたんですがね。別になにも……」 「羊歯のことのほかに何か書いてありますか」 「ええ、そう、|蝙《こう》|蝠《もり》のことが書いてあります」 「蝙蝠……?」 「そうです。何かかわった蝙蝠でも発見したんでしょうな。写真にとって送るとあります」 「その写真はとどきましたか」 「いや、写真をとるまえにあの災難にあったのか、それともあの騒ぎにまぎれて、大道寺家で紛失したか……ライカはかえってきましたがね。ところで、そうそう、その蝙蝠の件について、わたしもちょっと妙だと思うことがあるんですよ」 「妙だというと?」 「だいたい、日下部青年というひとは、依頼人にあてて、ひじょうに謹厳な手紙を書いたひとなんです。ことに生物に関して書きおくる場合は、いっそうそうなんです。ところが、この蝙蝠のことを書いたくだりにかぎって、なんだかとてもふざけてるんですね。なにか面白くて、おかしくて、馬鹿馬鹿しくてたまらないという調子なんです。このことは当時も妙だと思ったが、こんど読みなおしてみても変ですね。何をあんなにうかれているのか、いかに変テコな蝙蝠を発見したとしても、あのふざけかたは尋常ではない」  加納弁護士はひどくそのことが気になるらしく、ぼんやりと考えこむのである。金田一耕助はなんとなく胸の騒ぐのをおぼえたが、しかし、まさかこの蝙蝠の一件こそ、あの恐ろしい事件の|謎《なぞ》をとく|鍵《かぎ》であったろうとは、そのとき夢にも気がつかなかったのである。 「ええと、それではこんどは大道寺氏、当時の速水青年ですね、あのひとのことについてお話ねがいましょうか」 「ああ、そう、大道寺氏……」  加納弁護士は夢からさめたように、 「あのひとはこの件について、大きな犠牲をはらいましたよ。もっともまた、それだけの代価はうけとったわけですが……いまもいったとおり、琴絵という婦人が妊娠していた。その子の父は日下部青年です。このことは日下部青年も、覆面の依頼人に書きおくった手紙で、ハッキリ認めているんです。そこで子供の籍をなんとかせねばならぬ。私生児にするわけにはいかない。と、いうわけで覆面の依頼人にくどき落とされて、速水青年が琴絵という婦人と結婚したんです。琴絵はひとり娘ですから、速水君が養子ということになりました。但し、この結婚は子供の籍をつくるのが目的ですから、ほんの名義上だけのことで、わたしはいまでも大道寺君と琴絵夫人とのあいだに、一度だって夫婦のかたらいがあったかどうか、疑わしいと思ってるんですよ」  金田一耕助は眼をまるくして相手の顔を見直した。 「そして、その琴絵というひとは?……」 「死にました。うまれた子、それが智子さんなんですが、智子さんの五つの年に……」 「しかし、それじゃそのあいだ大道寺氏は……」  加納弁護士はしぶい微笑をうかべて、 「いや、大道寺君と琴絵夫人は、ほとんど|同《どう》|棲《せい》したことがないんです。結婚当時、速水君はまだ学生だったし、学校を出るとすぐ就職するし、第一、東大の法科を一番で出たという男が、島ヘ|逼《ひっ》|塞《そく》するわけにゃいきませんや。ところが琴絵という婦人が、どうしても島を離れたがらない。だから夫婦といっても、ほんの名目だけのことだったが、それでも大道寺君はおりおり島へあいにいった。すると夫人が気の毒がって、じぶんの代わりに、|蔦《つた》|代《よ》というわかい女中を、つまり、その、お|伽《とぎ》に出したんですね」 「なるほど」 「ところが大道寺君にはこの女中が気にいって、東京へつれてかえって同棲した。つまり細君公認のお|妾《めかけ》というわけですね。そのうちに蔦代という婦人が懐妊して、うまれたのが男の子、文彦というんですが、この子がまた、大道寺君と琴絵夫人の子として、籍に入っているんです。だから大道寺家にはいま、全然、血のつづいていない姉と弟、しかも、まだ一度もあったことのない二人が、真実の姉弟として籍に入っているわけなんです」 「すると、いまでは蔦代という婦人が、大道寺氏の正妻になっているわけですか」 「いや、ところがそうじゃないので、蔦代というひとがとても昔かたぎの女でしてね、じぶんのような身分の|賤《いや》しいものが由緒ある大道寺家の籍に入るなんて、とんでもないことだと、どうしてもききいれないんだそうです。そして、げんざいじぶんがうんだ子を坊っちゃんと呼び、文彦君はじぶんの母を、蔦、蔦と呼びすてですよ」 「すると大道寺氏はげんざい無妻ですか」 「ええ、そう、琴絵夫人の死後ずっとそうです。むろん、蔦代という婦人以外、|新《しん》|橋《ばし》あたりで相当発展するそうですがね」 「羽振りがいいと見えますね」 「それはもう……五つ六つの会社の社長や重役をかねているでしょう。戦後派の実業家じゃ、まあ出色のほうです。それというのも、当人の腕も腕だが、後援者がよかったんですね。つまり覆面の依頼人というのが、智子さんのことがあるから、あらゆる後援をおしまなかったんです」 「すると覆面の依頼人というひとは、よほど社会的に勢力のある人物なんですね」  金田一耕助はまたふっと、あやしい胸騒ぎをかんじたのであった。  その日、金田一耕助は自宅へかえると、紳士録をくって大道寺欣造の項をしらべてみた。 [#ここから1字下げ] ◎大道寺欣造(旧姓速水) [#ここから3字下げ] 明治四十三年三月十八日生 昭和八年東京帝国大学法学科卒業 [#ここから1字下げ]  現在の役職 [#ここから3字下げ] |武《ぶ》|相《そう》鉄道社長、伊豆相模土地専務、駿河パルプ専務、三信肥料専務、ホテル|松籟荘《しょうらいそう》専務 [#ここで字下げ終わり] 「なるほど、これじゃ羽振りがよいはずだ」  それから金田一耕助はペンをとって、つぎのように大道寺家の家系をかきぬいたのである。